2026
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保険歯科治療の歴史
- 2026.03.13
- ブログ歯記
日本には世界でも例をみない、安価で医療を受けられる保険診療という制度があります。
アメリカでは自己破産の半数が高額な医療費によるものだそうです。
私たち日本人はこの制度の恩恵を受けておりますが、その成り立ちや現状の問題などほとんど知らないのでは無いでしょうか。
当院のホームページにも記載している内容ですが、今回は保険制度について考えてみましょう。
1961年に全国の市町村で国民健康保険事業が始まり、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる体制が確立しました。
当時、貧困の原因の多くは病気やケガによるもので、医療を受けられないために病気が長引き、仕事にもつけなくなり、貧困に陥るという悪循環が繰り返されていたために考えられた制度です。ちなみに「国民皆保険」は「国民皆兵」をもじってできた言葉だそうです。
繰り返しますが公的な医療保険は「病気のために働けなくて貧困になる」ことへの対策、貧困が病気を生み、病気が貧困を生むという悪循環を断つために生まれた社会の仕組みなのです。
保険歯科治療の内容・コンセプトはこの50年以上の間ほぼ何も変わっていません。それは上記のような理由からです。
病気になった歯が体に良くないことは証明されていますが、歯のないことで働けなくなるということはないとこの制度では考えられています。
歯の病気はひとくちに言えば、生活の質(QOL=クオリティ・オブ・ライフ)の医療なので、治療の必要性を決めるのも、治療のゴールを決めるのも患者さんです。
保険は、みんなでお金を出し合ってケガや病気の治療を助け合う仕組みですから、特に歯科の場合は患者さん個人の希望はなかなか通らないのが現状です。
制限があるとしても保険制度は本当に有難いものなので、この制度が破綻しないように私たちがこの制度を正しく理解する必要があると強く思っています。
<ホームページより抜粋>
以上、国民皆保険の成り立ちを簡単に記しましたが、今回はもっと深堀します。
この皆保険制度ができるまでの道のりをみてみましょう。
昭和31年に全国民を包含する総合的な医療保障を達成することを目標に進めることを打ち出し皆保険の宣言をしました。
もはや戦後ではないと宣言した年でもあり、神武景気と呼ばれる空前の好景気のなか厚生省は社会保障制度の本格的拡充に取り組みました。
皆保険になる前に主要な歯科治療が次々に給付されるようになり、昭和24年には部分入れ歯のバネの金属の種類なども増え補綴処置がほぼ保険でできるようになりました。
こうなると好景気下でのインフレという軋みが生じ、保険での採算が合わなくなってしまい昭和27年にはついに日本医師会が一時的に保険医療総辞退を実施、日本歯科医師会は総辞退のジェスチャーにとどまったがデモ行進を行なった。
昭和30年に厚労省は金を用いる補綴処置に「差額診療」を解禁した。
補綴物に金合金を使った場合、保険で給付できる14カラット金合金と、実際に使用した金合金の保険で足りない分の金属の差額を患者から徴収する特例を認め、皆保険化のはるか以前から保険の中に材料差額が組み込まれる特殊な構造が作られた。
昭和29年には国民の66%は何らかの医療保険に加入し、零細企業の従業員にも市町村や政治家が国保への加入をを熱心に進めた。
保険証を手にして歯科治療を受診しに来る患者も珍しいものではなくなった。
が、保険診療の広がりはもともと問題の多かった補綴治療の質を無惨にも劣化させた。
石原寿郎は、夥しい数の不良金属冠が患者の口腔内に入っており、多くの害悪を残していることは否定できず、国辱的金冠などと強い口調で非難した。
ここでの金属冠とはバンド冠を指す。
この頃の歯冠修復は現在の鋳造冠とバンド冠が混在していて、敗戦国の日本の政治家や経済人の口の中にこのバンド冠を見つけて侮辱的に評することがあったという。
石原寿郎はバンド冠でもきちんと行えば、歯周組織に害を及ぼすことはないが、保険で普及した時には職人的な手仕事の精度は忘れられるに決まっていると嘆いた。
現在の鋳造冠に最も早く転換したのは日大歯学部でした。
顕微鏡歯科治療は保険でも部分的に収載されています。
インプラントや矯正も保険でできるようにしてほしいとの声も聞こえています。
しかし保険に入った途端、それらの治療は無惨にも劣化してしまう。
歴史は繰り返されるし、人間とはそんなものだと思います。
おもて歯科医院
博士・日本顕微鏡歯科学会認定指導医・常任理事
日本歯科大学臨床講師
表 茂稔



