2020
9/20
自明の理
- 2020.09.20
- ブログ歯記
- ミラーテクニック・ 顕微鏡歯科治療(マイクロスコープ)
明白な道理。
でも、理にかなっていない環境が当たり前だと教育されれば、疑問にさえ感じないことがあります。
今回は歯科医師になりたての研修医の先生方へ向けたメッセージです。
基本的に私は他の歯医者の批判や悪口はいけないことだと考えており、自重もしているつもりです。
しかし自分が一番大切にしていることと真反対なことを、研修医に教育しているならば黙っているわけにはいきません。
決してその歯医者の人格を攻撃しているのではなく、よりよい歯科医療という観点で私の考えを述べています。
口腔という入り口が前方にしかない閉じられた空間では、正面から覗き込むだけでは必ず死角ができます。
死角があればその歯科治療は不確実性が上がり、成功率にも影響します。
しかし歯科大学の教育現場でも、私が経験したように死角に対してはまったくのスルー状態でしたし、今でも現在進行形です。
研修医は初めて行う歯科治療法を身につけるのにいっぱいいっぱいで、指導医が教えてくれることを必死で勉強しているのだと思います。
その大事な時期に見えない治療が当たり前だと教育されている動画を見て、心底危機感を持ちました。
よりによって顕微鏡治療で見えない治療を教えられていたので、とても看過できません。
半閉鎖の口腔内で死角部を見ながら治療するには、現在のところミラーテクニック以外ありえません。
どんなにポジショニングがどうのこうの、患者さんの顔を横に向けようがほっぺたを引っ張ろうが必ず死角ができます。
ただ見るだけなら確かに歯の風景は見えます。
私達の目的は歯の風景を見ることではありません。
正確な治療を行うためです。
その動画中で、その風景を見た研修医が「素晴らし〜」と歓声を上げたのを聞いて、私の頭の中のなにかのスイッチが入りました。
これではいけないと。
全力で治療をしても成功率を100%にすることはできないのに、それを死角部分を手探りや勘で治療することにとてもじゃないけど私は同意できません。
その先生個人がどのような治療をしようが私がとやかくいうつもりはないのですが、研修医の教育がそのように行われているのを目の当たりにして、せめてミラーテクニックについても研修医に教育する機会がなくてはならないと感じました。
そのうえで自らの意思で選択できる環境にしなければいけないと感じました。
新人時代は覚えることがたくさんあるので、指導医の教えを何も疑問を感じず素直に受け入れることが多いと思います。
私自身がそうでした。
心の目で見ろ
今ではそんなの欺瞞だということはわかりますが、新人のときは真に受けていました。
星の王子さまの
「心でしか物事をよく見ることはできない。大切なものは目には見えないんだよ。」
は私の好きな言葉ではありますが、歯科治療の場では目で見ないと正確なことはできません。
今回の親知らずの抜歯は、口腔外科の専門の先生ならもっと短い時間で抜歯できるし、同じように痛みや腫れもなく抜歯できると思います。
違いがあるとすれば、私は低侵襲で親知らずを抜歯することだけではなく、隣の歯に損傷なく抜歯することに注意を払っていることです。
たとえ隣の歯に損傷を加えても患者さんはすぐに不具合を感じることはないと思います。
それが問題でもあるのですけれどもね。
例の動画の先生も、研修医に教えている最中に何度も「ミラーテクニックでやるのがいいと思うけど、難しいから僕は直視でやるよ。ほら見えるでしょ!」
先に述べたようにそれが歯の風景であり、先生自身もミラーテクニックを試みたことがあり、難しいから直視にしているようです。
せめて「僕はミラーテクニックは難しくてできないけど、君たちはたくさん練習してミラーテクニックを修得してね!」
となっていたら私は何もいうことはありませんでした。
今やインターネットでは顕微鏡、マイクロスコープ、歯科で検索するとたくさんの歯医者がでてきます。
ミラーテクニックで治療しなくてもなんの問題もないと感じている歯医者さんが多いから、わざわざたいへんな思いをして努力してたくさん練習して身につけようとしないのかな?
繰り返しますが例え見逃しがあり不確実であっても、それが問題をおこし症状として現れるのは数年経ってからです。
私にとって、きちんとした顕微鏡歯科治療をするのであればミラーテクニックが必要なのは自明の理だと考えています。
おもて歯科医院
歯学博士
表 茂稔